TOP INTERVIEW 2026
『釣具新聞2026新年号』より ※記事のご提供:名光通信社様
昨年は、コロナ禍という特需が完全に過去のものとなり、小売店を含め、業界全体が新たな局面に入る中、我々はこういった状況に対し、正面から向き合っていかなければなりません。私が昨年の市場動向を通じて感じた事、そして今年2026年に向けて私たちが取り組むべきテーマについて、以下の通り述べさせていただきます。
【昨年を振り返り】

昨年を振り返りますと、地球温暖化や海水温の上昇により、これまでその場所で釣れていた魚が釣れなくなっており、釣りの対象魚種の交代がより鮮明になってきました。これに伴い、釣りの楽しみ方や提案のあり方にも工夫が求められています。また、これまで釣りをこよなく愛してくれた方々のライフスタイルの変化や、若い世代の価値観の多様化も進んでいます。特に若い世代の方々には、釣りの魅力や楽しさを、より分かりやすく伝えていくことが重要だと感じています。
昨年見られた明るい兆しについてですが、気象条件が安定すれば、多くの釣り人が実際に釣りに行かれているという需要の底堅さが感じられました。これにより、ファミリー層やアウトドア需要の回帰が見られ、新規参入の動きも一部で回復基調にあります。自然相手のレジャーである以上、天候が安定することは最大の追い風となります。
また、社内の取り組みとして成果が見え始めたのが「人材の育成」です。最近では、やる気のある若手社員が増えてきました。若手社員にタカミヤの歴史や社風、精神を教えながら、技術もきちんと伝承する仕組みづくりにも挑戦してまいります。 今、当社の若手社員でも様々な技術を持った社員が増えています。例えば、リールのメンテナンスや竿の修理、カスタマイズの技術です。お客様からのニーズもありますし、売り場でもそういった環境を整えて、お客様に新しい価値をお届けしたいと考えています。 また、数年前から力を入れている鮎釣りの研修を続けてきた結果、若手社員でも鮎釣りをする人が増えました。鮎の友釣りは日本の伝統的な釣りであり、今後も継承していく必要があると強く感じております。このような研修などを通じて人を育て、社員のレベルを上げることで売り場作りにも反映させ、お客様に楽しさをお届けするという好循環を、今後も拡げていきたいと思っております。
無人店舗「いつでもえさルア」は昨年で3年目を迎えました。昨年オープンした行橋バイパス店に併設した「いつでもえさルア」は、アイテム数が3万6000点、売り場面積も約160坪の規模まで伸ばすことが出来ました。顔認証システムをはじめとした高度なセキュリティ対策を行うことで、今まで大きなトラブルは起こっておりません。 逆に、無人店舗に取り組んできたことで、人の価値について改めて認識することが出来ました。お客さまのおもてなしをし、接客を行い、釣り場にいざない、情報の提供や気持ちを盛り上げるなど、人ならではの価値に更に磨きをかけていきます。人の価値を活かした店舗運営の大切さを、無人店舗を作ったからこそ実感いたしました。
最後に、(公財)日本釣振興会を中心として「釣り文化振興基本法(仮称)」の制定に向けた議論が進んでおり、釣り振興をはじめ、釣り場の保全や安全確保など、釣り界全体の環境改善につながる法的基盤が整う可能性もあります。当社も全面的に協力して、我々を取り巻く事業環境の改善に繋がるものとして、期待をしております。
【2026年に注力する取り組み】
2024年のテーマは「整(ととのえる)」、2025年は「改(あらためる)」でした。そして本年、2026年のテーマには「錬(れん)」を掲げます。
今年は今まで整え、改めてきた土台を鍛え抜いていくフェーズに入りました。本年は今まで整え、続けてきた改革を昇華させる重要な年になると考えています。
昨年より進めてまいりましたAIアバターによる接客に加え、自社で開発したアプリの活用を本格化させます。全社的な生産性向上の中でDXの推進も継続して進めて参ります。
その一環として、無人店舗モデルの進化や拡張を行います。またデータドリブン経営(企業経営を勘や経験で行うのではなく、様々なデータに基づいて行う手法)のレベルも更に高めていきたいと考えています。
当社は未来永劫、「釣りを通して夢をお届けする」事が本来の目的です。その目的達成には様々な困難が立ちふさがっておりますが、社員一丸となって2026年度も邁進する所存でございます。
社長の経歴
(株)タカミヤに1994年(平成6年)に新卒として入社。学生の時、アルバイトに精を出す等、働く事は好きだったが、将来に対して明確な目標や夢もなく、本気で物事に取り組む事がない学生だったそうだ。タカミヤに入社したのも、就職説明会でたまたま話を聞いたのが同社だったから。当時、「ポイント」という釣具店の事も何となく知っている程度だったという。一般社員としてタカミヤに入社したが、新入社員研修後の理解度テストでは最下位に近い成績で、底辺からのスタートとなる。「この時、生まれて初めて無性に悔しいと思いました。研修姿勢や立ち振る舞いを含め、成績が上位の人は幹部候補として、当時のポイントの旗艦店や新規出店先、韓国の店舗などに配属されましたが、当然、私は選ばれませんでした。学生の頃から何かに本気で打ち込む事ができず、社会人になれば変わる事ができると思っていた矢先の厳しい現実でした。『選ばれる人と選ばれない人がいる』。このままではダメだと目が覚めました」と語る。最初に配属された店舗でがむしゃらに働いた。「とにかく仕事で目立って、関東の店舗に配属されなければならない」。そう考え、昼夜問わず猛烈に働いた。

当時勤務していた横浜港南台店
1996年(平成8年)、念願の関東に異動となりポイント横浜港南台店(以下、港南台店)の店長代行に就任。翌年、1997年(平成9年)にはポイント金沢文庫店の店長。1998年(平成10年)にはポイント横須賀佐原店の店長。そして、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)までポイント港南台店の店長となる。この港南台店は驚異的な売上を誇る店舗として有名だが、この店長時代の経験が自分の中で一番強く残っているという。「私はいつも極端に肩に力が入っている社員でした。販売力は誰にも負けない、荷物を運ぶのも売場を作る行動力も体力も、とにかく誰にも負けないという気持ちを前面に出して仕事をしていました。当時、私は20代半ばで、お客様もスタッフも私より年上です。それで、若いからと言って甘く見られないように、なおさら肩に力が入りました。気付かないうちにひどく傲慢な店長になっていったのです」当時の自分は会社や仕事、売場、お客様、商品等に対する愛情は、誰にも負けず、強い思い入れがあったが、スタッフに対する愛情だけが全くといっていいほど欠けていたという。「スタッフが1人や2人辞めても関係ない。自分が倍働いて倍売ればいい」。そう考えて、がむしゃらに働き続けた。その結果、売場は崩壊した。当時、港南台店はパートを含め20名ほどが勤務していたが、店の雰囲気は悪く離職も相次いだ。接客もままならず、欠品も多くなり、お客様の心も離れ、ついには売上も大幅にダウンした。人一倍努力をしてきた上田は大きな挫折を味わった。この結果を受け止め、悩んだ末に全スタッフに謝罪し、「私が間違っていた。心を入れ替えるから、もう一度だけ私に協力して欲しい」と涙ながらに訴えた。この時から港南台店は大きく変わり、国内屈指の売上を誇る釣具店へと変わっていった。
「当時は、後ろについて来る者が誰もいないという感じでした。私自身が『何か文句があるなら俺よりもすごい事をしてから言え』といった態度でしたから、お店もよい雰囲気になるはずがありません。お店の雰囲気が悪いのはお客様にすぐに伝わります。売れなくなって当然でした。この港南台店の経験が私を大きく変えました。一人が頑張るのではなく、みんなで頑張る。一つのチームとしての営業に目覚めたのです。それまでは自分中心で、スタッフへの思いやりや、心配りなどが、全くできていませんでした。それ以降、スタッフ全員に協力して頂く為には、自分がどのようにしなければならないのか?スタッフ一人ひとりに心を寄せて、常に考えるようになりました。大勢のスタッフの気持ちが一つになった時に生み出されるパワーはすごいものがあります。当然、お店も盛り上がります。その結果、2、3年後には、港南台店は日本一と言われる売上の店舗になりました」
その後、地区長を1年間務め、本社小売事業部次長、営業部長、31歳で取締役に就任。常務、専務を経て、2016年社長に就任となった。髙宮会長から社長就任の話があった当初は、社長になることがイメージできず一旦断ったそうだが、ここまで育て、引き立てて下さった会社や髙宮会長に強い恩義を感じていた上田は、話し合いの末、社長就任を決心した。

