TOP INTERVIEW 2023

『釣具新聞2023新年号』より ※記事のご提供:名光通信社様

【昨年の振り返り、環境の変化】

 昨年はコロナによる行動制限がなくなり、来店客数が減少しました。コロナ禍以前の2019年と比べると2021年は3割以上の大幅な伸びを見せていましたが、昨年はこれまで急激に伸びてきた反動が出た形となりました。
 こういった状況の中、お客様の変化で特に感じたのは、早朝や夜間に買い物をされる方が減少した事です。行動制限を伴っていたこの2年ほどの間に「おうち時間の過ごし方」等が確立され、仕事帰りに飲みに行く、あるいはショッピングを楽しむという方が減りました。つまり、コロナ禍によって消費者の行動様式が変わったのだと思います。
 その反面、午前中の来店客数は増えています。午前10時や11時など開店から1時間ほどの間に買い物をされるお客様が増えました。人々の生活習慣が変わると、買い物をされる時間帯も変わってきます。
 そして、昨年の九州は空梅雨で、四季のメリハリにも乏しい1年でした。ここ数年、九州や西日本でも豪雨による被害が起こっています。災害級の大雨はこれ以上発生しないことを祈るばかりですが、雨によって山から栄養分が河川を通って海に流れ込むといった側面もあります。近年の海水温の上昇も含め、対象魚や釣り方も日々変化し、予測が難しいが故に、店舗においては在庫過剰になる傾向がありました。お客様に対し、シーズンに合った最適なサービスを提供することがとても難しい年となりました。

 一方、良かった点としては、若年層の釣り人が増えた事です。これはあらゆる場面で感じます。例えば船釣りにおいて、以前は5060歳代のシニア層が主流でしたが、今は3040歳代の働き盛りの方が多くなっています。当社の会員様データを分析しても、2040歳代が活性化しています。コロナ禍で注目された釣りが、レジャーとして定着し昇華しているのだと思います。我々は3年セオリーと呼んでいますが、新規の会員様の中で、2年経ってもお買上げが続いているのは6070%、3年後まで残って頂けるのは、いつの時代も3040%です。その中で、非常に熱心に釣りをされる、釣り熱の高い方々が残っていらっしゃるのだと捉えています。そういった方々は、釣りへの取り組みが真剣ですから、高性能で高価格な釣具もお求めになられており、実際に客単価が伸びています。働き盛りの方が、多数新規顧客になって頂いているのはとても嬉しい事です。こういった熱いお客様の気持ちを更に盛り上げていく必要があると考えています。

 今の若い方は心の価値を求めています。大きい魚を釣りたい、美味しい魚を食べたい、SNSに映える写真を撮りたい、といった欲求をストレートに実現しようとされます。そのため、昔のように堤防釣りから磯釣り、沖釣りと順番にステップアップしていくのではなく、いきなり大型の青物釣りやマグロ釣りなどに挑戦される傾向が見受けられ、釣具も順番に良い物を買っていくのではなく、いきなり最上位の物を選ぶ事があります。こういった変化に我々もしっかり対応して、お客様に更に釣りを楽しんで頂けるよう取り組んで参ります。

 また、昨年は釣り場の減少問題が特に深刻でした。当社の調べでは、コロナ禍の2年間で、当社が展開する19県で100カ所以上の釣り場が、釣り禁止を含めて何らかの規制を受けました。規制された理由は釣り人のマナー問題もありますし、それ以外の理由もあります。逆に禁止場所が開放されたのは4カ所のみであり、釣り場が大きく減少しているのは明らかです。店舗で出来る事としては、マナー啓発についての店内放送やポスターの掲示、日釣振のゴミ袋の配布などですが、これらは今後も継続してまいります。また、社員の意識も高くなっており、会社として釣りの研修に行った時はもちろん、プライベートで釣行した際にも釣り場清掃を行う社員が増えました。
 釣具店は釣り場あっての商売であり、まさに我々の生命線です。日釣振の活動とも連携しながら、釣り場保全のためには何でもやるという気持ちで取り組んで参ります。

【2023年の課題】

 2023年はコロナ禍による行動制限がなくなっていく中で、当社は「リスタート」をテーマに掲げ、様々な見直しを図り、利益を上げる事にコミットしていきます。
 リアル店舗に更に磨きをかけ、売り場でのお客様との接点を今まで以上に大切にしていきます。
 今まで進めてきたDXも更に磨き上げます。アプリも活用し、リアルでもデジタルでもお客様1人1人に合わせた接客やご提案を行い、釣りにいざない、お客様の気持ちを盛り上げて、釣りの楽しさを提供して参ります。
 人材確保においても、地域によっては採用が難しくなっています。地方は過疎化、少子化が急速に進んでおり、今後もこの傾向は続いていきます。当然、担い手不足が問題となるでしょう。将来を考えると、店舗運営における一層の効率化、省力化、あるいは無人化等を考えていく事は避けて通れない課題です。

 当社は昨年11月に24時間いつでも使える無人店舗「いつでも餌蔵」を長崎県にオープンし、おかげさまで大きな話題となりました。
 この「いつでも餌蔵」の構想はかなり前から持っていました。以前、私が全国の店舗を巡回している時に、オールナイト営業をしていたある店舗スタッフから「どうして我々だけ夜通しで働かないといけないのですか?」と聞かれました。お客様のニーズがある事や、手当もしっかりつけている事を説明すると「我々はお金より健康が大切です」と言われました。以来、この言葉が胸に刺さっており、何とかしなければいけないと考え続けていました。確かに、お客様に商品を買って頂くことで喜びを見出せる小売業ですので、殆どご来店のない大雨や強風の日に働いていても、スタッフのモチベーションは上がらないでしょう。
 そして、6年前に観た「アマゾンGO」の無人店舗の動画に衝撃を受け、当社でも本格的に無人店舗への取り組みをスタートさせました。
 「いつでも餌蔵」は、顔認証システムで入店し、クレジットカードで決済する仕組みです。安全性を担保するために試行錯誤を繰り返してきました。今まで取り組んできたDXの極みというべき店舗です。釣具店の範疇にとどまらず、小売業全体としても新しいチャレンジだと思います。お客様のニーズに無人で応えられる、全く新しい取り組みであり、お客様に新しい価値を提供する事が出来ています。今後、更に内容を磨いていきたいと思います。

 コロナ前の常識と今の常識は違いますから、新しい経営スタイルを模索し、磨き続けていかなければなりません。原点に戻って「リスタート」し、最終的にはしっかりと利益を生み出す、強い経営を目指したいと思います。

社長の経歴

 (株)タカミヤに1994年(平成6年)に新卒として入社。学生の時、アルバイトに精を出す等、働く事は好きだったが、将来に対して明確な目標や夢もなく、本気で物事に取り組む事がない学生だったそうだ。タカミヤに入社したのも、就職説明会でたまたま話を聞いたのが同社だったから。当時、「ポイント」という釣具店の事も何となく知っている程度だったという。一般社員としてタカミヤに入社したが、新入社員研修後の理解度テストでは最下位に近い成績で、底辺からのスタートとなる。「この時、生まれて初めて無性に悔しいと思いました。研修姿勢や立ち振る舞いを含め、成績が上位の人は幹部候補として、当時のポイントの旗艦店や新規出店先、韓国の店舗などに配属されましたが、当然、私は選ばれませんでした。学生の頃から何かに本気で打ち込む事ができず、社会人になれば変わる事ができると思っていた矢先の厳しい現実でした。『選ばれる人と選ばれない人がいる』。このままではダメだと目が覚めました」と語る。最初に配属された店舗でがむしゃらに働いた。「とにかく仕事で目立って、関東の店舗に配属されなければならない」。そう考え、昼夜問わず猛烈に働いた。

当時勤務していた横浜港南台店

 1996年(平成8年)、念願の関東に異動となりポイント横浜港南台店(以下、港南台店)の店長代行に就任。翌年、1997年(平成9年)にはポイント金沢文庫店の店長。1998年(平成10年)にはポイント横須賀佐原店の店長。そして、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)までポイント港南台店の店長となる。この港南台店は驚異的な売上を誇る店舗として有名だが、この店長時代の経験が自分の中で一番強く残っているという。「私はいつも極端に肩に力が入っている社員でした。販売力は誰にも負けない、荷物を運ぶのも売場を作る行動力も体力も、とにかく誰にも負けないという気持ちを前面に出して仕事をしていました。当時、私は20代半ばで、お客様もスタッフも私より年上です。それで、若いからと言って甘く見られないように、なおさら肩に力が入りました。気付かないうちにひどく傲慢な店長になっていったのです」当時の自分は会社や仕事、売場、お客様、商品等に対する愛情は、誰にも負けず、強い思い入れがあったが、スタッフに対する愛情だけが全くといっていいほど欠けていたという。「スタッフが1人や2人辞めても関係ない。自分が倍働いて倍売ればいい」。そう考えて、がむしゃらに働き続けた。その結果、売場は崩壊した。当時、港南台店はパートを含め20名ほどが勤務していたが、店の雰囲気は悪く離職も相次いだ。接客もままならず、欠品も多くなり、お客様の心も離れ、ついには売上も大幅にダウンした。人一倍努力をしてきた上田は大きな挫折を味わった。この結果を受け止め、悩んだ末に全スタッフに謝罪し、「私が間違っていた。心を入れ替えるから、もう一度だけ私に協力して欲しい」と涙ながらに訴えた。この時から港南台店は大きく変わり、国内屈指の売上を誇る釣具店へと変わっていった。

 「当時は、後ろについて来る者が誰もいないという感じでした。私自身が『何か文句があるなら俺よりもすごい事をしてから言え』といった態度でしたから、お店もよい雰囲気になるはずがありません。お店の雰囲気が悪いのはお客様にすぐに伝わります。売れなくなって当然でした。この港南台店の経験が私を大きく変えました。一人が頑張るのではなく、みんなで頑張る。一つのチームとしての営業に目覚めたのです。それまでは自分中心で、スタッフへの思いやりや、心配りなどが、全くできていませんでした。それ以降、スタッフ全員に協力して頂く為には、自分がどのようにしなければならないのか?スタッフ一人ひとりに心を寄せて、常に考えるようになりました。大勢のスタッフの気持ちが一つになった時に生み出されるパワーはすごいものがあります。当然、お店も盛り上がります。その結果、2、3年後には、港南台店は日本一と言われる売上の店舗になりました」 

 その後、地区長を1年間務め、本社小売事業部次長、営業部長、31歳で取締役に就任。常務、専務を経て、2016年社長に就任となった。髙宮会長から社長就任の話があった当初は、社長になることがイメージできず一旦断ったそうだが、ここまで育て、引き立てて下さった会社や髙宮会長に強い恩義を感じていた上田は、話し合いの末、社長就任を決心した。

過去の社長インタビュー

2022年(昨年の変化・業界の課題)

2021年(新型コロナウイルス・釣りと当社の取り組み・2021年に向かって・デジタル化・初心者をリピーターにするためには)

2020年(2019年について・釣り人を増やす取り組み・2020年の課題)

2019年(平成と今年・消費税増・2019年の取り組み)

2018年(昨年特に感じた事・働き方改革・ネット販売・2018年の取り組み)