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『釣具新聞第2858号』の記事内容を掲載しています。 
 ※記事のご提供:名光通信社様

最初に上田氏の経歴を紹介したい。上田氏は1972年(昭和47年)8月21日生まれの44歳。(株)タカミヤには1994年(平成6年)に新卒として入社。学生の時、上田氏はアルバイトに精を出す等、働く事は好きだったが、将来に対して明確な目標や夢もなく、本気で物事に取り組む事がない学生だったそうだ。タカミヤに入社したのも、就職説明会でたまたま話を聞いたのが同社だったから。当時、「ポイント」という釣具店の事も何となく知っている程度だったという。一般社員としてタカミヤに入社した上田氏だが、新入社員研修後の理解度テストでは最下位に近い成績で、底辺からのスタートとなる。「この時、生まれて初めて無性に悔しいと思いました。研修姿勢を含め、成績が上位の人は幹部候補として、当時のポイントの旗艦店や新規出店先、韓国の店舗などに配属されましたが、当然、私は選ばれませんでした。学生の頃から何かに本気で打ち込む事ができず、社会人になれば変わる事ができると思っていた矢先の厳しい現実でした。『選ばれる人と選ばれない人がいる』。このままではダメだと目が覚めました」と上田社長は語る。

最初に配属された店舗で上田氏はがむしゃらに働いた。「とにかく仕事で目立って、関東の店舗に配属されなければならない」。そう考えた上田氏は昼夜問わず猛烈に働いた。1996年(平成8年)、念願の関東に異動となりポイント横浜港南台店(以下、港南台店)の店長代行に就任。翌年、1997年(平成9年)にはポイント金沢文庫店の店長。1998年(平成10年)にはポイント横須賀佐原店の店長。そして、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)までポイント港南台店の店長となる。この港南台店は驚異的な売上を誇る店舗として有名だが、この店長時代の経験が上田氏の中で一番強く残っているという。「私はいつも極端に肩に力が入っている社員でした。販売力は誰にも負けない、荷物を運ぶのも売場を作る行動力も体力も、とにかく誰にも負けないという気持ちを前面に出して仕事をしていました。当時、私は20代半ばで、お客様もスタッフも私より年上です。それで、若いからと言って甘く見られないように、なおさら肩に力が入りました。気付かないうちにひどく傲慢な店長になっていったのです」当時の上田氏は会社や仕事、売場、お客様、商品等に対する愛情は、誰にも負けず、強い思い入れがあったが、スタッフに対する愛情だけが全くといっていいほど欠けていたという。「スタッフが1人や2人辞めても関係ない。自分が倍売ればいい」。そう考えて、がむしゃらに働き続けた。その結果、売場は崩壊した。当時、港南台店はパートを含め20名ほどが勤務していたが、店の雰囲気は悪く離職も相次いだ。接客もままならず、欠品も多くなり、お客様の心も離れ、ついには売上も大幅にダウンした。人一倍努力をしてきた上田氏は大きな挫折を味わった。上田氏はこの結果を受け止め、悩んだ末に全スタッフに謝罪し、「私が間違っていた。心を入れ替えるから、もう一度だけ私に協力して欲しい」と涙ながらに訴えた。この時から港南台店は大きく変わり、国内屈指の売上を誇る釣具店へと変わっていった。

「当時は、後ろについて来る者が誰もいないという感じでした。私自身が『何か文句があるなら俺よりもすごい事をしてから言え』といった態度でしたから、お店もよい雰囲気になるはずがありません。お店の雰囲気が悪いのはお客様にすぐに伝わります。売れなくなって当然でした。この港南台店の経験が私を大きく変えました。チームでの営業に目覚めたのです。従来は自分中心のやり方でしたが、それ以降、自分は一歩引いて、スタッフと一緒に店を盛り上げるようにしていきました。大勢のスタッフの気持ちが一つになった時に生み出されるパワーはすごいものがあります。当然、お店も盛り上がります。その結果、2、3年後には、港南台店は日本一と言われる売上の店舗になりました」 その後、上田氏は地区長を1年間務め、本社次長、営業部長、31歳で取締役に就任。常務、専務を経て今年社長に就任となった。髙宮会長から社長就任の話があった当初は、社長になることがイメージできず一旦断ったそうだが、ここまで育て、引き立てて下さった会社や髙宮会長に強い恩義を感じていた上田氏は、話し合いの末、社長就任を決心した。

「人材育成」がタカミヤの礎

ここからは、上田氏に現在の釣具店や新社長としての取り組み等について伺った。

―今までの上田社長のキャリアで一番大きな仕事や出来事は何ですか?

上田社長(以下同様)「やはり店長の経験です。特に港南台店ですね。我々小売業にとって、店長はいわば現場の社長です。店舗の成否に関わる重要なポジションです。私が本社勤務の管理職となってからも、店長時代の経験を活かして店舗を巡回しながら『ポイントの店はどうあるべきか』を全スタッフに浸透させてきました。当時のタカミヤでは、経営理念や社員のあるべき姿等は分かり易く示されていたのですが、『具体的にどういった行動が重要なのか』という事が明確ではなかったのです。ですから、店長時代の経験を基に作ったチェーンオペレーションを各店に浸透させ、全国の店舗の足並みを揃える事に注力してきました。その際、私は店舗に寝泊まりし、寝食を共にしながら、店長やスタッフにあるべき姿を説き、思いを共有してきました。
釣具店は非常に地域性が強い商売です。商品構成が店舗で異なり、ご当地専門の商品も多くあります。そのため各店舗の裁量が強くなり、人材育成も現場任せになりがちです。店長は一国一城の主であり、自分流でよい成績を出す場合もあるのですが、それぞれが勝手な店作りをしているのではチェーン店ではありませんし、コーポレートブランドを確立する事も出来ません。一方、本部が強くなりすぎると、今度は現場では自主的に考えられない集団になってしまいます。ですから、今は逆に現場力を高める事に力を入れています。必ずしも本部主導が正しいわけではありません。ご当地でしか拾えない声もあります。らせん状に、現場と本部それぞれの力を高めて、バランスを取っていく事を今行っています」 

―今の釣具店にはどういった事が求められていると思われますか?

 「今、釣具店はどのジャンル、どのスタイルにも強くなければお客様が付いてくれません。『広く』だけでなく『深く』が求められています。毎年、店舗在庫の2割が入れ替わるほど新製品が発売され、『アジング』や『タイラバ』等、釣りのジャンルも増えています。結果的に商品点数は増え続けます。今では1店舗あたり4―5万アイテム、会社全体では約30万アイテムを取り扱っています。人間だけで管理するのは不可能な数字です。増え続ける商品への対応だけでなく、売り場作りも課題です。売場面積が1000坪の広い店を作って、お客様に満足してもらえるかといえば、それは違うと思います。広さがある分、時の経過と共に売場の鮮度が保てなくなり、風化するでしょう。大量に並べる商品量よりも、鮮度のある売場作り、即ち、売場の質が大事だと思っています」 

―社長として変える部分と変えない分があると思いますが、まず最初に力を入れて取り組まれる事は何ですか?

 「社長としてやるべき事は、1にも2にも『人作り』です。優れた人材が多くいる企業が変化に対応できる企業だと思うのです。先の熊本の地震もそうですが、ここ10年で1000年に一度、100年に一度と言われる災害が続いて起こっています。災害を克服し、難局を乗り越えていくのは人の力です。今後、タカミヤが、様々な災いに見舞われた場合に、それら現実を受け止め、解決にあたり、未来を切り拓いて行くのは、社員1人1人です。極端な話になりますが、釣具以外の商売を行っても成功できる、海外でも活躍できるような人材の育成や組織の体制作りをしたいと思っています。『人材教育』はタカミヤの礎なのです。タカミヤイズムや姿勢、理念は変えません。しかし、店舗運営といった技術・方法論の部分については、時代と共に変えていきたいと思います」 

物流とシステム駆使し売場の鮮度保つ

―具体的にどういった部分を変えていかれますか。

 「先程も述べましたが、これからの釣具店は『市場にマッチした鮮度ある売場作り』がますます重要になってくると思います。そのためには旬の商材や売れ筋商品、定番品等、必要な在庫をしっかり持つ事が重要なのですが、商品が増えすぎた売場から商品を引く力、つまり売場から不必要な物を抜き取る力も大事になってきます。表に出す作業と表から引っ込める作業の両方が必要とされ、物流力が問われます。今後、釣具店で最も重要になってくるのはロジスティクスでしょう。さらに、売場からどの商品を抜き取るかを判断するためには、単品管理を行うシステムも重要です。ロジスティクスとシステムを上手く融合させて、お客様に満足して頂ける売場作りを追求していきます」

―他に取り組まれる事はありますか。

「ロジスティクスとシステムの融合という話をしましたが、今年から我々はそこにマーケティングの要素を取り入れていきます。今、当社には膨大な量のデータがあります。JANコードに紐付された商品、顧客、購買日等のデータですが、こういったデータを解析して、お客様に適した商品をオススメする等、販売に結びつけていく取り組みをスタートさせました。今後、大きな力になるのではと期待しています。私達を取り巻く環境はどんどん変わっています。販売手法は、時代の変化に合わせて、その時々、お客様に満足して頂ける形に、積極的に変化させて行くべきだと感じています」

―最後に上田社長の抱負を教えて下さい。

「私の抱負は、タカミヤが未来永劫に繁栄する100年企業にする事です。そのためには、やはり『人作り』です。次の世代のため、編まれた糸のように途切れない人作りを行っていきます。責任は重いですが、今後も頑張って参りますので、よろしくお願い致します」